民間防災のなせる業
1988年からの災いを防ぐ活動を通して、現場で感じ、培(つちか)った知恵をいよいよカタチにしていこうと奮闘中です。
ボランティアビジネスともいわれた「防災ビジネス」をたった一人の「防人(防災人)」が繰り広げています。
そしてその根底にあるものは・・・
災害時・非常時・活動時に着る服(防災服・活動服・出動服)
ユニフォームの必要性を感じ取ったきっかけは「1995年 阪神淡路大震災」
当時は市販では手にすることができなかった「レスキューオレンジ」を民間で初めて作ったのがキッカケです。
泥まみれになっても断水と停電で洗濯もカラダを拭くことさえできない中、6着の活動服と4足のミリタリーブーツは有効で画期的でした。
川水に浸して乾くのを待つ。
この経験から「ドライ生地」を使った防災服・活動ユニフォームシリーズを作り始めました。
ユニフォームへのこだわり
着用して感じたことが沢山あります。
先ず
自分の姿を魅せて自身を安全にすること。
誰が見てくれるのか?というと、現場では公職100%!
間違いなく私に目を配ってくれています。
次いで、支援活動者やその場で動こうとする被災当事者。
その場にいる人とここに向かってくる人の目には私の姿が見えていました。
避難者の方々も側近の支援者も着ているものをあてがって向かってきます。
ユニフォームを着ている人たちの周りに人が集まり、情報も集まってくるものなんです。
となると、応対も変わってくるんです。
ただその反面、私からは「どなたが被災者で現地の方なのか?誰が支援者なのか?」が見えないのです。
それと、はぐれた家族を探す人に「探している人はどのような服装?」と問いかけるも記憶がないか特徴がないという結果も。
ここからは「避難着」という視点も生まれてくるわけですね。
1995年の阪神淡路大震災では
真冬の厳しさを着の身着のままで過ごすことに。
2011年の東日本大震災でも
雪降る中での津波でずぶ濡れに。
7月豪雨では
降り出して逃げ出す時からの濡れ身。土砂にも阻まれ、汚水・泥水の餌食になった。
感じ取ったのが、着るもの着ないで動きは伴わないということ。
それも専門職のような特殊なものより、平時から着ていられる気軽さをと考えています。
なぜならば、グッズも同様で「普段から使っていなければ、非常時に使うことは出来ない」からです。
実は「私の平服は活動着」を毎日着ています。
被災者と支援者への仕掛け
民間防災が発表するユニフォームやグッズといった製品を販売していただくことで、個人の方でも「被災後の生活力」の「収入源」としてご利用いただける様にしてあります。
店舗をお持ちならば展示販売もでき、洋品店のみならず飲食店などの異業種でもディスプレイ販売も可能です。企業であれば自社取り扱い品としてオンラインショップで販売も可能でしょう。
また代理店となれば、自治体や行政などの入札へのご参加が可能となります。
参画協賛金制にて小売店・代理店・総代理店といった3区分で仕掛けてありますので、こちらもお声がけいただけますと幸いです。
※このコーナーは発表してきた製品をバックナンバーとして廃盤デザインも掲載します。